(12)自分史 その7

新潟市にいた頃


1968年のカレンダーを見ると、3月20日が春分の日でしたから、私は多分、その日に社長に言われた場所、つまり中央工業の従業員が宿泊している家に、夕方直接行ったことと思います。私は燕で買ったものの殆どは実家に置いて、バッグ一つの身軽さでした。


そして翌日の朝、その人と一緒に〇〇造船工場に行き、造船工場の社員や中央工業の従業員を紹介してもらい、船舶艤装の仕事の説明も受けました。設計室内は木造の建物でしたが、社員や下請け会社からの派遣従業員、そして事務係の女性も4人ほどおり、全体で40人くらいいたと思います。燕の〇〇工業とは、雲泥の差でした。


また、勤務時間は午前8時から午後4時までで、1日7時間労働、土曜日は出勤でしたが祝日は休みでした。1カ月の残業も30時間が上限でしたから、1カ月の実働時間は多い時でも210時間くらいでした。不法残業やブラック企業などとは、縁遠い会社でした。


宿泊しているアパートから造船工場まで、歩いて7分くらいの距離で、食事や風呂はありませんでした。それで中央工業の従業員から、食事は毎日3食扱ってくれる定食屋を紹介されました。場所は造船工場から歩いて5分くらいで、有難いことに1食100円、月末払いでした。朝食と夕食は、あまりお客さんが来なかったようですが、昼食の時は12畳くらいある和室の2部屋に、たくさんの人たちが食事に来ていました。それから風呂はどこに行っても銭湯がありました。


私に与えられた仕事といえば、最初の2カ月くらいは、殆どが図面のトレースだったと思います。そして3カ月目くらいから、鮪延縄漁船の艤装設計の仕事をやるようになりました。私は製図の知識はあるものの、やはり簡単な設計図を書いていました。


晴れた日の昼休みには、屋外の広場でテニスをやったり、キャッチボールをやったりしていました。社員はもちろん、外注設計で来ている人たちや、事務係の女性たちも20代で独身の人が多かったです。そこで5月半ばを過ぎた土曜日の夕方、事務係の独身女性4人と、独身男性の人たちの合計8人くらいで、映画『猿の惑星』を観に行ったことがありました。私の人生において、多数の独身仲間と一緒に映画を観に行ったのは、後にも先にもこの1回だけでした。今、思えば良き青春時代のひとコマだったのです。


また、マカロニ・ウエスタンが大ブームの時代でしたから街角の至る所に、マカロニ・ウエスタンのポスターが貼ってありました。燕にいた時は映画館が少なかったので、マカロニ・ウエスタンを観たのは、『荒野の1ドル銀貨』の1本だけでした。それで私は新潟に来てから、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』と『怒りの荒野』を観て、完全にマカロニ・ウエスタンの虜になりました。


その後、8月頃に『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン/地獄の決闘』の2本立てを映画観で観ました。そして11月頃に『星空の用心棒』を観ました。新潟で観たマカロニ・ウエスタンは、以上の5本でした。つい、マカロニ・ウエスタンについて長くなってしまいましたが、年末には『2001年宇宙の旅』と『荒鷲の要塞』の話題作も観とことを覚えています。


私は毎日残業しても5時半には退社していたので、夕食は6時に終了ですから夜の時間は、たっぷりありました。友達と2人で新潟駅前のダンスホールに行って、ダンスを習ったり、友達の家に行って、麻雀もやったりしていました。それ以外の日は、ラジオでナイターを聞いていました。


但し、そんなに稼いでいなかったので、飲みに行くことも、旅行に行くこともなかったです。また、正社員ではないので、この先、仕事を覚えても将来の展望がないな、とも思っていました。


そして、8月のお盆休みには実家に帰りましたが、仕事の内容については、両親にあまり話すこともなかったようです。ただ真面目に働いているよ、というくらいに留めておきました。


お盆が終わって新潟に戻って来ても、仕事のことはあまり覚えていなく、惰性でやっていたように思います。そして、この年の年末に、中央工業の先輩から横浜にある日本揮発油株式会社の仕事をやるのに、その会社の下請け設計事務所である中央プラント工業を紹介されました。先輩から言われた言葉はただ一つ、「お前は、ここで働いているよりも、日本揮発油の仕事を覚えたほうがいい。何しろ仕事のスケールが違うから」ということでした。


当時、私は給料のことよりも、何か仕事を覚え、技術を磨きかったのでしょう。母との約束である「新潟県から出ないで・・・・・・」ということも忘れ、承諾してしまいました。それはひとえに、高田高校時代から味わった挫折が、そうさせたものだと思います。自分にあった仕事を覚え、1人前になって行けば、自ずと給料は稼げるから・・・・・・と。そこで私は、担当の係長と中央工業の社長に、来年の1月半ば頃に退職したいということを伝えました。


年末の29日(日曜日)、正月休みに実家に帰った私は、両親、長兄、そして兄嫁にも、「1月20日に仕事で横浜に行くから」と言いました。この時、両親は反対もせず、私の願いを聞き入れてくれました。


年が明けた1969年1月6日が月曜日でしたから、私は5日の午後、実家を出て新潟に戻って来ました。それから2週間、何の仕事をしたかさっぱり覚えていませんが、1月20日(月曜日)、朝早く下宿を出てバスに乗り、新潟駅に向かいました。荷物は製図用具一式と衣料品だけでした。


(横浜市にいた頃 は現在執筆中です)


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by stone326 | 2018-01-18 09:20 | 物書きへの道


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