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カテゴリ:物書きへの道( 31 )

(31)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、のヒット曲と映画 その5

第四章 五人のスペシャリストを探せ、にでてくるヒット曲と映画

例1

八月十日(水曜日)の今日も午前八時半に出社。社員より三十分も早く社長室に入ると、必ずタバコを一服しながら、ソファーに深々と腰掛け、窓の外をぼんやりと眺めながら今日の予定、そして、世界の海でLNGを生産している五隻の船と今、建造中の三隻の船。世界のFLNG船の二割を所有しているエドワード社長は、少年時代に観たSF映画の金字塔であるスタンリー・キューブリック監督の『二〇〇一年宇宙の旅』の冒頭シーンを、思い起こしていた。

人類がまだ地球上に出現していなかった頃、夜中に突然現れた石碑(モノリス)の前で、一頭の猿が動物の骨を武器として使う知恵を授かり、その骨で仲間の猿と一緒に敵対する猿を倒したあとに、猿が放り投げた骨が宇宙船に姿を変える、あの有名なシーンである。その石碑がエドワード社長にはこのブルジュ・ハリファが、そして、宇宙船が五隻のFLNG船に重なって見える。


例2

「アメリカのルーク大統領は、フェアな人だから我々と同じように五人にするだろうな」

スティーブは、フランコの考えにさすがだな、と思いながら、

「フランコ、お前の言いたいことは分かった。その五人の情報を知りたいのだな」

「中々やるじゃないか、スティーブ。心当たりはあるのか?」

「もちろん、あるさ。俺の叔母でパサデナに住んでいるお婆ちゃんだ」

スティーブの答えに、ムサシは何かを思い出したように言った。

パサデナのお婆ちゃんか。何かそんな曲名の歌があったな」

ムサシの意外な言葉に、スティーブは不思議そうな顔をして言った。

「ムサシさん、知っているんですか? サーフ・シティの大ヒットで、一躍大スターになったジャンとディーンだ。フランコは知らないのは無理もないかな。叔母さんに頼めば、明日には五人の名前を送ってくれるさ」


本小説の3大特徴を次に示します。
1.人類史上最大の船、FLNG船が登場します。
2.ストーリーが地球規模で展開します。
3.ストーリーの進行に伴って、ヒット曲と映画を数多く盛り込んであり、巻末にヒット曲と映画の説明を記載してあります。

本のご購入は、右記の本の紹介に書いてあります。


by stone326 | 2018-02-25 08:25 | 物書きへの道

(30)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、にでてくるヒット曲と映画 その4

第三章 FLNG船を拿捕せよ、にでてくるヒット曲と映画

例1

健一は毎年のように、うっとうしい梅雨になると昔、父がよく聴いていたザ・カスケーズの悲しき雨音という歌を思い出してしまう。当時は悲しき片想いとか悲しき慕情悲しき天使悲しき初恋悲しき少年兵、同じくザ・カスケーズの歌で悲しき北風というように、何かにつけて悲しき〇〇の付いたタイトルの歌が多かったようだ。そこで久しぶりにラジオのスイッチを入れると、偶然にも落雷の音と共に悲しき雨音の歌が流れてきた。


例2

哲也がジョニー・ユマとアリゾナ・コルトに向かって、

「ジョニーさんとアリゾナさん、ありがとうございました。今、思い出したのですが、ジョニー・ユマとアリゾナ・コルトという名前は、五十五年も前に大ヒットしたマカロニ・ウエスタンからいただいたのですか?」

と訊いてきたので、ジョニーは意外な顔をして哲也を見ながら、

「ええ、そうです。私の本名はジョニー・ラッドです。そして彼は・・・・・・」

「私の本名はアントニオ・カルヴォです。アリゾナ・コルトという名前が好きで、ずっと使っています」

そして、ジョニーと同じように、意外な顔をして哲也を見ていた。哲也は、やはりそうかと思い、言った。

「そうですか。あなた方のお名前は一生忘れません」

今度はジョニーが訊いた。

「私たちこそ。大川さん、五十五年も前の映画を良くご存じですね」

「はい、父がマカロニ・ウエスタンの大ファンでしたから、私もそのDVDを時々観ているんです。特に音楽が素敵でした。マーク・ダモン主演のジョニー・ユマ。日本語のタイトルが『皆殺し無頼』ですが、この曲は本当に素晴らしいです。ジュリアーノ・ジェンマ主演のアリゾナ・コルト。日本語のタイトルが『南から来た用心棒』で、ジェンマがとても格好良く面白かったことを覚えています」


本小説の三大特徴を次に示します。
1.人類史上最大の船、FLNG船が登場します。
2.ストーリーが地球規模で展開します。
3.ストーリーの進行に伴って、ヒット曲と映画を数多く盛り込んであり、巻末にヒット曲と映画の説明を記載してあります。

ご購入は、右記の本の紹介に書いてあります。


by stone326 | 2018-02-24 08:11 | 物書きへの道

(29)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、のヒット曲と映画 その3

第二章 五人のプロフェッショナルを探せ、にでてくるヒット曲と映画


例1

すると裕治が、 

「素敵かどうかはともかくとして、妻の麻理の願いですから。何とか協力しようと思いまして」

続いて陽一も、

「私も杉山さんと同じです。女房に惚れた男の弱みってやつですかね」

「まあ、昔の歌にもありましたが、僕のマリーいとしのエリーですわ」

香が言ったので、みんなどっと笑ってしまった。


例2

翌々日の昼頃、どこまでも続く青い空と乾いた山肌をタクシーに乗って、ミニ・ハリウッドに着いた哲也たちは、まず昼食を摂ることにした。哲也の情報では、フランコ・フォックスは中肉中背で、やや丸顔の髭面に青い瞳、拳銃と爆薬のプロである。年は四十歳くらいで、妻と男の子二人は教育のためマドリードで暮らしている。そしてフランコは、ミニ・ハリウッドで拳銃の早撃ちショーや、その他の曲芸で働いている。あのマカロニ・ウエスタンの大ヒット作、『続・荒野の用心棒』のジャンゴに魅了され、少年時代から拳銃の腕を磨いてきたのだ。


本小説の3大特徴

1.人類史上最大の船、FLNG船が登場します。
2.ストーリーが地球規模で展開します。
3.ストーリーの進行に伴って、ヒット曲と映画を数多く盛り込んであり、巻末にヒット曲と映画の説明を記載してあります。

ご購入は、右記の本の紹介に書いてあります。


by stone326 | 2018-02-23 08:37 | 物書きへの道

(28)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ のヒット曲と映画 その2

第一章 北極熊がいなくなる日、にでてくるヒット曲と映画


例1

九月(セプテンバー)も半ばを過ぎて、かなり涼しくなってくると、卓也はマカロニ・ウエスタンの好きな父が良く聴いていた九月になればという曲を思い出す。そしてなぜかしら、中秋の名月の頃になると、母と一緒にムーンライト・セレナーデとか月影のナポリ夢のお月様、それからビートルズのミスター・ムーンライトというように、月に関する歌を聴いていたようだ。何か両親にとっては、この時期が恋の季節だったのではないかと思っている。


例2

裕治は暫く考えてからボソボソと言い出した。

「そうだなあ。昔の西部劇『荒野の七人』(日本の時代劇『七人の侍』のウエスタン版で四本製作されている)という映画の中で、野盗に苦しめられていた農民が、お金は持っていないがガンマンに頼んで野盗をやっつけるという物語が、ヒントになるのではないかと思うが・・・・・・」


ご購入は、右記の本の紹介に書いてあります。

by stone326 | 2018-02-22 08:20 | 物書きへの道

(27)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ のヒット曲と映画 その1

プロローグに出てくるヒット曲と映画

例1

 一九九三年、ゴールデンウィークのある晴れた日の朝、玩具やトランプカードの製造販売を経営している大川俊男が、妻の真美(マミー・ブルー)に訊いた。

「子供たちは、今は中学二年生だが、来年の夏休みは高校受験で忙しいから、今年の夏休みは思いきって北極熊でも見に行こうか?」

 夫の言葉に驚いた真美は、

「北極熊って、北極海まで行くの?」

「そうさ。去年の夏休みは北京(『北京の五十五日』)に行ったが、北極と言っても夏は白夜で草花が咲いている。そこには北極熊やセイウチ、いろんな渡り鳥が来るので子供たちも喜ぶだろう。それにロシアは、昨年から一般外国人の旅行も許可になったからね」


例2

 ウォッカを飲んでいた俊男がクリフに向かって訊いた。

「さっきから訊こうと思っていたのですが、クリフさんはマカロニ・ウエスタンに出演していたリー・ヴァン・クリーフに似ていますね。クリフと名前が同じですが、偶然の一致ですか?」

「そう。以前は観光客の殆どの人からそう言われましたが、ブームが去ってからは大川さんが三人目ですね」

「そうですか。彼の映画は日本でも大ヒットしましたし、クリント・イーストウッドと組んだ『夕陽のガンマン』などは、この映画の本当の主人公はリー・ヴァン・クリーフだという評論家もいますし、彼の人気は日本でも高かったようです。ただし、『続・夕陽のガンマン』の悪役でイメージを下げましたが、それがかえって次の作品、『怒りの荒野』の同じ悪役でも、さらに人気が出てきたと思っています」

 俊男は嬉しそうな顔をして言った。


 なお、ヒット曲と映画の説明は、巻末に記載してあります。

曲名      アーティスト           年      国名

マミー(真美)・ブルー ポップ・トップス 歌 一九七一年 アメリカ、フランス、スペイン

 ほかにサン・トワ・マミー(アダモ 歌 一九六二年 ベルギー)の歌あり。YOU TUBEのコメント(以後、コメントとしておきます)を読むと、筆者は涙が出るほど懐かしくて嬉しいです。特に宮崎県でも流行っていました、というコメントにはユーモアを感じました。なお、トム・クルーズ主演の映画、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』が、七月二十八日に劇場公開されました。

 

 ブルー(青)が付く歌というと、まずはジャッキー吉川とブルー・コメッツのブルー・シャトウ青い瞳青い渚。かの有名な藤山一郎の青い山脈、松田聖子の青い珊瑚礁、ザ・タイガースの青い鳥。洋楽ではダイナ・ショアの青いカナリア、さらにはボビー・ヴィントンのブルー・ヴェルヴェットブルー・オン・ブルー。アンディ・ウィリアムスのブルー・レディに紅いバラ、プロコル・ハルムの青い影など、青色に関するヒット曲を、ザ・ワイルドワンズの青空のある限り探し求めて行くと、大変なことになってしまいます。


題名      出演者       製作年   製作国

北京の五十五日 チャールトン・ヘストン主演 一九六三年 アメリカ

本映画を知ったのは、筆者が高校三年生の時、ラジオ放送の洋楽ベストヒットパレードで聴いたからでした。ブラザース・フォアの歌声と、出だしのプンプ プンプ プンのハミングが素敵で、今でも時折YOU TUBEで聴いています。映画はその後、TV洋画劇場で観ましたが、殆ど忘れてしまいました。


 ところで、歴史の勉強になるかと思い、北京の五十五日の歌詞を紹介します。

 時は一千九百年 五十五日の北京城

 肉弾相撃つ 義和団事件

 中略

 フランス イギリス イタリア ロシア

 更に加えて 精鋭日本

 華の北京 今や死の街

 ということで、詳しいことはネットを検索して見てください。


 ヒット曲の場合は、固有名詞に関連する歌を集めてあるので、YOU TUBEで歌を聴くのも楽しいかと思います。筆者の好みが多分に入っていますが・・・・・・。


本の購入は、右記の本の紹介に書いてあります。



by stone326 | 2018-02-21 08:47 | 物書きへの道

(26)「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、の説明書

この度、オンデマンドで紙の本を出版しました。本のタイトルは、「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、ペンネームは、成瀬ひろしです。それでは、本小説の3大特徴を次に示します。(税込価格 1、500円)

1.人類史上最大の船、FLNG船が登場します。(YOU TUBEでFLNG船を検索してみてください
2.ストーリーが地球規模で展開します。
3.ストーリーの進行に伴って、ヒット曲と映画を数多く盛り込んであり、巻末にヒット曲と映画の説明を記載してあります。

ご購入は右記の本の紹介に書いてあります。
あらすじは、商品内容に書いてあります。

本小説は、ストーリーの展開をヒットした歌の曲名、および映画の内容などに合わせて、多少強引な場面もありますが進めています。ゆえに、その場面に差し掛かった時にYOU TUBEで、ヒット曲名や映画の題名を検索して、歌を聴いたり、動画を観たり、することによって楽しさが倍増すると思います。特に登場人物が女性の場合は、女性の名前が入っているヒット曲名を多く使っています。


本小説は、マカロニ・ウエスタンの面白さに、ハリウッド・アクション映画の醍醐味と中国カンフー、および日本武芸者の圧倒的な強さをブレンド。数々のマカロニ・ウエスタンとハリウッド映画、邦画の名場面やアイデアを盛り込ませ、現在ヒット中の映画も導入してあります。そして、アメリカン・ポップス、リバプール・サウンド、グループ・サウンズ、ディスコはもちろん、日本の歌謡曲にものって物語がスピーディに進行。ユーモアを随所に散りばめながら、読む人を飽きさせることなく展開していきます。

マカロニ・ウエスタンには、スペシャリストという題名の映画があり、ハリウッド・ウエスタンには、プロフェッショナルという題名の映画があります。そこで、あえて本小説では、フランコ・フォックス(ジャンゴ)をリーダーとする五人をプロフェッショナル、ジュリアーノ・ウッド(ダーティ・ハリー)をリーダーとする五人をスペシャリストと名付けました。

なお、第一部から第三部の各冊ごとに、ヒット曲と映画の説明を掲載してあります。したがいまして、この説明を読めば、かなりヒット曲と映画の知識を得ることができます。本編を読まれて懐かしい歌や観ていない映画、または、もう一度観たい映画に出会えたなら、筆者としては望外の喜びです。



by stone326 | 2018-02-20 08:44 | 物書きへの道

(25)「FLNG船 二〇二二年」の説明書

この度、オンデマンドで紙の本を出版しました。本のタイトルは、「FLNG船 二〇二二年」、ペンネームは、成瀬ひろしです。それでは、本小説の特徴を次に示します。

1.人類史上最大の船、FLNG船が登場します。(YOU TUBEでFLNG船を検索してみてください)
2.ストーリーが地球規模で展開します。
3.外国人の登場人物の多くは、スターの名前を合成してあるので、イメージが湧いてくると思います。(知らないスターがいたなら、ネットを検索してみてください)。

本小説のあらすじは、商品内容に書いてありますが、参考までに下記に示します。

少年少女時代に東シベリア海のウランゲリ島で、両親と一緒に北極熊の親子を見た双子の兄弟と姉妹。それから二十九年後の二〇二二年夏。北極のバレンツ海でLNGの生産をしているFLNG船が、ジャンゴと呼ばれているフランコ・フォックスをリーダーとする五人のプロフェッショナルに拿捕された。人類史上最大の船、FLNG船上で壮絶な三つ巴の戦いが始まった。五人のプロフェッショナルと五人のスペシャリストの運命は?

本のご購入につきましては、右記の本の紹介に書いてあります。
 
本小説は、出版中の「北極熊はどこへ行ったの」(第一部)FLNG船を拿捕せよ、と後日出版予定の「北極熊はどこへ行ったの」(第二部)FLNG船を奪還せよ、「北極熊はどこへ行ったの」(第三部)FLNG船の死闘、の三冊の中からヒット曲と映画は全て除外し、登場人物も多少減らしてあります。また、ストーリーを大幅にカットし、序盤のストーリーの展開も変えてあります。したがいまして、こちらのほうが従来の小説のスタイルだと思います。

一冊完結になっていますので、是非ともご購入の上、読んでいただければ光栄です。

by stone326 | 2018-02-19 08:27 | 物書きへの道

(24)六ポケット家族 その12

      3


 裕紀が生まれてから約二カ月後の三月二十日(日曜日)は、家族全員で近くの神社にお宮参りに行った。このところ、五日くらい暖かい日が続いており、桜の花も咲きそうな勢いである。裕紀は生まれた時の体重が、隼人より少なかったが、この二カ月の間にかなり増えたようだ。夕子は育児のため、七月初めから会社に行くことにしている。そして裕紀は、隼人が行っている保育園に、五月半ば頃から行くことにしている。隼人の時も誕生後、四カ月くらい前に行っていたから、ちょうど良いかなと、源一郎と和子は思っていた。

 それから、一カ月以上、順調に今年のゴールデンウィークの後半は、五月三日から五連休である。天気予報によると二日から良い天気で、九日まで晴天が続くようだ。ということで、雅之、夕子、隼人、裕紀の四人は、三日の午前十時頃、車に乗って伊豆高原に泊りに行った。雅之は二泊してくると言ったから、家に帰って来るのは五日の夕方である。

 この際、源一郎と和子も夫婦で一泊旅行にでも行けば良いのだが、何しろ年金生活なのでその余裕がない。したがって、今日は買い物と掃除をして明日、日帰り旅行することにした。


 翌日の午前九時に自宅を出た源一郎と和子は、成瀬駅まで歩いて行った。成瀬駅からスイカで二階のプラットホームに行き、横浜線の八王子駅行きの電車に乗った。ゴールデンウィークなので、電車はかなり混んでいたが、次の町田駅で乗客がかなり降りた。二人は空いた席に腰掛けると、電車はすぐに出発した。電車に乗ること三十分程で八王子駅に着いた。八王子駅で降りた二人は、八高線の高崎駅行きの電車に乗り、高麗川駅で川越線に乗り換えた。それから川越駅に着いた時は、もう十一時二十分頃だった。二人は改札口を出ると源一郎が、

「もうすぐお昼になるから、まずは食堂に行って、そば定食でも食べようか」

「そうね。今なら食堂は空いているかも」

 和子が言ったので、二人は日本そば屋に入って行った。空いている席に腰掛けると、店員が来たので和子がそば定食を二人前注文した。それから和子が、

「食事が終わったら、まずは時の鐘がある蔵造りの町並みよね。そして川越市蔵造り資料館を見学する」

 と言ったところで、今度は源一郎が、

「菓子屋横丁を出たら、川越氷川神社や川越城本丸御殿、喜多院、仙波東照宮を見学する。四時には川越駅に戻って来られるだろう」

「あら、良く調べてあるわね。電車に乗っていた時に、私もスマホを見ていたから」

「それで、今日は江戸時代にタイムスリップしたような気分で行こう」

 昼食後、二人は蔵造りの町並みまで歩き、時の鐘や喜多院、仙波東照宮などを見学して、JR川越駅に戻って来たのは、四時を少し過ぎていた。川越駅から電車を乗り継いで、成瀬駅に戻って来た二人は、夕食も成瀬駅前の食堂で済ませた。

 そして、五日の午後二時頃、源一郎と和子は、隼人の子供の日プレゼントに、町田駅前の玩具店に行って、新幹線のプラモデルを一個買った。二人は成瀬駅に戻って来ると、スーパーで買い物をしてから自宅に帰った。

 雅之たちが夕方六時に帰って来ると、真っ先に隼人が伊豆高原で勝って来たお菓子のお土産を持って来てくれた。そして、

「おじいちゃんとおばあちゃん。おみやげだよ」

 と言って、お菓子の箱を和子に渡した。受け取ると和子が、

「隼人ちゃん。ありがとう」

 と言うと、源一郎もそれに続いた。

「隼人君は、すっかりお兄ちゃんになったな」

 の声を聞いた隼人は、すぐ二階に戻って行った。


 ゴールデンウィークが終わった翌週の十五日から、裕紀も保育園に行くことになった。夕子は六月末まで会社を休むため、隼人と裕紀の保育園の送り迎えをしている。したがって源一郎と和子は、自宅でのんびりと過ごしていた。二人ともスマホの操作に慣れたらしく、ツイッターに登録し、いろんな人の記事を追いかけている。真面目に政治を扱っている記事や映画、歌、書籍、人生の教訓などについて、投稿している人もいる。ネットの記事でも、毎日多くのニュースが書かれており、新聞を購入しなくても、時間を持て余すことはない。

 今年の関東地方の天気は、五月二十日頃に真夏日があり、六月になっても十日頃に真夏日があった。六月半ば頃に梅雨に入ると、九州地方は六月末から七月初めにかけて、集中豪雨に見舞われていたが、関東地方はあまり雨が降らなかった。そのようなことで隼人と裕紀は、天候が概ね安定していたため、夕子と一緒に保育園に通っていた。


          4


 七月三日から、夕子は会社に行くことになり、隼人と裕紀の保育園送り迎えは、源一郎と和子がやることになった。九州地方が長雨の被害が出ているにも関わらず、関東地方は六日から半月くらい真夏日が続いた。西日本は雨の日が多いため、気象庁は全国的に梅雨明け宣言をためらっていたようだ。真夏日と言っても、保育園に行くのは七時半で、帰宅するのは五時半だから、日中の暑さからは解放できるので、隼人と裕紀は元気だった。

 十六日の日曜日も朝から真夏日だったので午後二時になると、雅之が家の庭に子供用ビニールプールを置いた。先に雅之がプールに水道水を入れ終わると、次に源一郎と和子がやかんに湯を沸かして、プールの中に入れてあげた。ちょうど良い水温になったので、隼人が水着になってプールに入り、喜びながら遊び始めた。隼人がプールに入るのは、これで三年目になるが、裕紀は生まれてからまだ半年くらいなので、夕子が裕紀を抱いて見ることになった。その様子を雅之はカメラに撮り、源一郎はスマホで動画を撮っていた。そして、和子は隼人のそばに来て見守っていた。

 今年の夏は保育園が休みの日に、隼人をプールに入れたことが三回で、昨年よりも少なかった。というのは、五月半ばころから隼人を成瀬駅近くにある水泳教室に、毎週土曜日に通うことにしたからである。その日は雅之の車で、夕子、隼人、そして裕紀も一緒に連れて行った。

 また、七月に真夏日が続いた関東地方だが、八月になると一転して、曇りや雨の日が多かったようだ。そして、今年の六ポケット旅行も、昨年と同じように行けなくなったことは、すこし寂しい気がした。その代り夜になると、家の庭先で花火をあげたり、近くの公園の夏祭りに連れて行ったりしていた。もちろん、お盆休みになると、雅之と夕子、隼人、裕紀の四人は、箱根の強羅温泉に一泊旅行したり、福山夫妻の家にも泊りに行ったりしていた。

 その代り、九月には晴れの日が多くなり、半ばころに暑さがぶり返して真夏日もあった。さらに十月になっても夏日があり、梅雨が明けた七月初めから。四カ月に亘って夏のようだった。結局のところ、今年は五月に真夏日があったり、十月半ばに夏日があったりで、半年間も半袖姿だった。天候は暑い日もあり、十月には台風もきたが、比較的穏やかだったので、隼人と裕紀は毎日元気に保育園に通っていた。


 十一月三日からの三連休も快晴の秋晴れだったので、雅之と夕子、隼人、裕紀の四人は、伊豆高原に二泊三日の旅行に行った。留守番役の源一郎と和子は、四日の土曜日に東京スカイツリーに行くことにした。成瀬駅からJR横浜線の東神奈川駅行きに乗り、次の長津田駅で東横線の栗橋駅行きの急行電車に乗り換えた。便利になったもので、渋谷駅から東京メトロ半蔵門線と東武スカイツリーラインが直通のため、とうきょうスカイツリー駅まで行ける。二人は自宅を八時半に出たので、十時半には東京スカイツリーの入場券売り場に着いた。

 東京スカイツリーは、鉄塔までの高さとしては六三四メートルで世界一、完成してからもう五年になる。源一郎と和子は、入場券(大人二千六十円)を購入する行列に並んだ。今日は三連休ということで、入場券を購入するまで約一時間半、天望デッキ行きのエレベーターに乗るまで約十分掛かった。高速エレベーターに乗ると、約五十秒で天望デッキに着いた。

 二人とも東京スカイツリーは初めてなので、天望デッキに着くとガラス越しに外を見渡した。天気が良いので富士山がはっきり見えた。そして東京タワーは、ここからだと小さく見え、卵型の東京ドームも見えた。その左方向の先に横浜ランドマークタワーもちょっと霞んで見えた。それから源一郎と和子は、別途入場券(大人千三十円)を買って、天望回廊行きのエレベーターに乗った。天望回廊にはすぐ着いたので、二人はひと回りした。天望デッキよりも百メートルくらい上にあり、窓側に行って下を見ると、さすがに怖くなってくる。源一郎と和子は、しばし展望回廊からの絶景を味わってから、エレベーターホールに向かって歩き出した。

 エレベーターを降りてから源一郎と和子は、そらまちに入って行った。時間はすでに十二時半を過ぎていたので、二人はレストランに入り、ハンバーグランチを注文した。昼食後、そらまちにあるお土産店に入り、孫のおみやげに東京スカイツリーのラッキーストラップを二個買った。久々に晴れやかな気分になった源一郎と和子は、そらまちを出てとうきょうスカイツリー駅に向かった。


 十一月も先月と同じように、関東地方は晴れの日が多かった。隼人は来月の十日には四歳になり、裕紀は今月の二十三日に十カ月になる。隼人は言葉をかなり覚え、普段の会話ならできるようになってきた。遊びのおもちゃも、アンパンマン、機関車トーマス、キュウレンジャー、そしてトミカのミニカー、レールと電車など大概の物はもっている。さらに両親がディズニーの英会話教材を買ってあげたり、アイパッドも買ってあげたりしていた。しかし、まだ早いようだったので、たまに英会話のDVDを観たり、アイパッドも操作ができるようになったりしていたが、両親は目のことも考えて、控えめにしている。

 裕紀のほうは八月頃から這い這いを初め、今月初め頃からテーブルを掴みながら立ち上がれるようになった。また、雅之が裕紀に夕食を食べさせるため、一階に連れて来たことも十回くらいあった。隼人の時は顔見知りが四カ月も続いたので、雅之と夕子は、そうならないように気を利かしたのだろう。その甲斐あってか、裕紀は祖父母に抱かれても顔見知りすることはなかった。

  終わり。(以降の文章については、後日投稿の予定です)。


by stone326 | 2018-02-14 08:30 | 物書きへの道

(23)六ポケット家族 その11

第五章 第二回保育園クリスマス会


          1


 今年も慌ただしい師走を迎えたが、保育園のクリスマス会は十七日(土曜日)の午後三時からで、昨年と同じように福山夫妻も来ることになっている。したがって、隼人の誕生会を十七日正午に行なうことになった。雅之と夕子は隼人の子守をしながら、昼食の料理を作り始めた。一階にいる源一郎と和子は十時になると、近くのお菓子屋に行って、注文したバースデイケーキを持って来た。

 十一時半になると、福山夫妻が車に乗ってやって来た。車を家の前に停めて二階に上がって行ったので、源一郎と和子も二階に上がって行き、お互いの挨拶が交わされた。 長いテーブルには左右に椅子が三個ずつ、そして上座には隼人のベビーチェアが置いてあった。ということで、昨年と同じように昼食会が始まった。

 そして、二時になるとテーブルには、バースデイケーキが置かれ、隼人の誕生会が始まった。みんなが椅子に腰掛けると、雅之がバースデイケーキの蝋燭六本に火を点けた。すると隼人がちいさな手を合わせ片言で、

「ハッピーバースデイ・・・・・・」

 と言って椅子から立ち上がり、何度も口を窄めて息を吹きかけた。隼人が六本の蝋燭の火を消し終ると全員、「おめでとう」と言ってから拍手して、隼人の三歳の誕生日を祝った。

 その後、二時半に誕生会が終わったので、夕子と利律子が後片付けを済ませた。源一郎と和子は一階に下りて戸締りを。雅之と隼人、正と利律子、最後に夕子が階段を下り、東玄関から外に出て鍵を掛けた。二台の車に分乗して、みんなは保育園に向かった。


 十分ほどで成瀬駅近くにある保育園の駐車場に着いた。雅之と正は車を停めて、みんなは三階建てのビルの二階にある保育園の中に入って行った。五十坪ほどある会場の前方には、保育園の先生が五人くらいと、百人くらいの園児が慌ただしく動いていた。そして会場の前壁には、園児の思い出の写真が貼られており、大きなクリスマスツリーも置いてあった。さらに天井にもクリスマスの飾り物が吊るされていた。これらを目にした雅之たちは、いやが上にもその雰囲気に顔が綻んできた。

 三時になったので保育士の女性が、マイクを持って開会の挨拶を始めた。挨拶が終わると、昨年と同じようにゼロ歳児、一歳児から二歳児が登場し、次は三歳児の隼人が出てくる番になった。今年の三歳児の寸劇はカブ採りで、隼人は名前を呼ばれると、「はい」と返事をしてから舞台の真ん中に行った。舞台の真ん中には、プラスチックで作った大きなカブが二個置いてあった。そして、名前を呼ばれた三歳児たちが次々と登場し、カブの左右に五人ずつ並んだ。保育士の掛け声と共に、三歳児たちの山菜採りならぬ、カブ採りが始まった。保育士の言うとおり、左右に分かれた三歳児たちは、五人で力を合わせて、大きなカブを引っ張り上げた。

 それから四歳児たちがクリスマスの歌を合唱し、五歳児たちの寸劇もあった。さすがに四歳児以上ともなれば背丈も高く、中には小学一年生かとも思われる園児もいた。

 ひと通り保育園児たちの出番が終わると、サンタクロースの衣装を身に着けた男性保育士が、クリスマスプレゼントが入った大きな袋を担いで、舞台の前に登場した。司会の女性保育士がサンタさんを紹介すると、一歳児から順番にサンタさんの所に行って、クリスマスプレゼントをもらっていた。

 三歳児の番になると、隼人はサンタさんの所に行き、キャンディー入りサンタの靴をもらって、ニコニコしながら両親のいる所に持って来た。周りの人たちはと見ると、サンタさんからもらったプレゼントを、持って来て両親の側に来たり、写真を撮ったりしていた。

 こうしてサンタさんからのプレゼントが終わると、園児たちと両親たちも食事室に集まり、小皿に盛ってあるクリスマスケーキを頂くことになった。長い座卓の上には、クリスマスケーキのほかにお茶やジュースも用意されていた。源一郎と和子、正と利律子を初め祖父母たちは、昨年と同じように食事室には入れなかった。

 園児たちはクリスマスケーキを食べ終わると、会場の前に集まり、保育士の閉会の挨拶で、保育園クリスマス会が無事五時に終了した。雅之たちは保育園の駐車場に戻って来た。福山夫妻は車で狛江市の自宅に、雅之と夕子、隼人、そして源一郎と和子は、雅之の車で自宅に向かった。

 保育園のクリスマス会が終わると、一週間後の二十四日がクリスマス・イブ、そのまた一週間後の三十一日が大晦日である。隼人の誕生日が十日で土曜日だったから、今年は三回のお楽しみが、全て土曜日だったことになる。また、夕子は出産のため、二十日から半年間会社を休むことになった。


         2


 保育園の正月休みは、二十八日から来月の四日までである。したがって三十一日の午後、雅之と夕子、隼人は車に乗って、狛江市の福山夫妻の家に行った。二泊してくるから、帰って来るのは二日の夕方である。そして、昨年と同じように三日の朝、町田天満宮に初詣でに行った。今年の正月は元旦から良い天気で、雨が降ったのは一週間後の八日だった。また、住宅地にある南向きの家の梅の木には、ちらほらと梅の花が咲いていた。

 九日も午前中雨だったが、午後から晴れてきて、十日間くらい晴れの暖かい日が続いた。そんな中で二十三日(月曜日)の午前四時頃、雅之が一階に下りて来た。そして、源一郎と和子を起こしてから言った。

「夕子が陣痛で苦しみだしたので、これから病院に行く。隼人はまだ寝ているから、朝ご飯を食べさせて欲しい」

 先に和子が驚いた口調で言った。

「まあ、そうなの。気をつけて」

 次に源一郎も、

「うん、分かった。あとで連絡してくれ」

 と言ったので雅之が、

「多分、今日生まれると思う。予定日より十日くらい早いが。それじゃ、隼人を頼みます」

 と言って、二階に上がって行った。すると源一郎が、

「十日も早いということは、隼人と同じように帝王切開なのかな?」

「ネットを調べたら、今は帝王切開が多いと書いてあったわ」

「そうか。今は医学が発達しているから、病院に預けておけば安心だ」

「そうよ、心配したって。私たちは何にもできないんだから」

「そういうことだね。無事に生まれることを祈るだけだ」

 と言って、源一郎と和子は寝室に戻り、少し寝ることにした。それから六時半に起き、いつもと同じように隼人と一緒に朝食を摂り、隼人を保育園に連れて行った。

 源一郎と和子が帰宅してから、十時半頃に雅之より、源一郎のスマホに電話が入った。

「お父さん。今、無事に出産が終わりました。男の子で、体重は二千三百キログラム。福山さんも来てもらっている。今日、帰るのは八時頃になるから。隼人の夕食も頼みます」

「うん。分かった。母さんにも言っておく」

「それじゃ、家に帰ったら。また詳しく話します」

 と言って、先に雅之が電話を切った。それから源一郎は和子に今の話を伝えた。


 源一郎と和子、隼人が夕食を済ませてから八時になると、雅之が車で帰って来た。二階のリビングに来ると雅之が、

「予定日より早かったが、これで一安心しました。男の子なので、名前は裕紀にしました。明日も会社を休み病院に行っています。夕方には帰って来るので、隼人の夕食は自分が食べさせます」

 と言ったので、和子は隼人を見ながら、

「隼人君。弟が生まれたから良かったわね」

「うん、はやくみたいな。いつ、いえにもどってくるの?」

 と訊くと雅之が、

「来週の月曜日になると思う」

「それじゃ、それまで、いい子にしているよ」

今度は源一郎が、

「凄いな。三歳になると、こんなにしゃべれるようになるのか。やはり四カ月目から保育園に行っていたからかな」

「そうよね。雅之はこんなに、しゃべれなかったと思うわ」

 と言ったので、雅之が苦笑いをしていた。


 水曜日から金曜日まで雅之は会社に、隼人も保育園に行った。そして土曜日と日曜日は、雅之が病院に行ったので隼人は、土曜日は保育園に行き、日曜日は祖父母と一緒に桜木町に行くことになった。この日も朝から快晴の良い天気で、気温は二十度くらいになるという予報だった。源一郎と和子、そして隼人は十時に家を出て、成瀬駅まで歩いて行った。成瀬駅に着くと、源一郎と和子はスイカで、隼人はそのまま改札口を通り、階段を上って二階のプラットホームに行った。五分くらい待っていると、ちょうど桜木町駅行きの電車が来たので、源一郎たちは車内に入り、左座席に腰掛けた。

 桜木町駅に着くまで、隼人は大人しく窓の外を見ていた。思えば雅之も保育園に行った頃は、電車に乗ると黙って窓の外を見ていたようだ。やはり子供は、移ろい行く景色を見るが好きなのだろうか。三〇分程で桜木町駅に着いたので、源一郎たちは電車を降りて改札口を出た。

 桜木町駅舎を出た源一郎たちは駅前の広場を通り、「よこはまコスモワールド」まで歩いて行った。休日とはいえ、やはり今の季節は観光客が少なかった。源一郎たちは観覧車の脇の道路を通り、橋を渡ってブラノストリート・ゾーンの中に入って行った。いろんな施設を見て歩いても、三歳になったばかりの隼人が、遊べるような乗り物や見世物は、あまりなかった。そこで源一郎たちは、キッズカーニバル・ゾーンの中に入って行った。だが、ここでも施設を見ながら歩いただけだった。それでも隼人は、祖父母と一緒にいるのが嬉しいようだ。 暫らく歩いてから、和子が腕時計を見ると十一時半を回っていたので、

「お父さん、もうすぐお昼になるので、ロッテリアに行って、ハンバーグでも食べましょうか」

 と言ったので源一郎は、

「それがいいかな。隼人はハンバーグが好きだから」

 と言った。それから隼人は、源一郎と和子に連れられてロッテリアのお店に入って行った。店内はかなり混んでいたが、それでも少しだけ空席があった。和子がハンバーグセットを三個注文して、空いている四人掛けのテーブルに腰掛けた。和子は隼人の手を洗うため、一緒にお手洗いに行った。源一郎が一人で待っていると、和子と隼人が戻って来た。今度は源一郎が受け取りコーナーに行って、トレーにハンバーグセットを入れて持って来た。源一郎が椅子に腰掛けると、早速隼人が両手を合わせて、

「いだだきます」

 同じように源一郎と和子も手を合わせて、

「いただきます」

 と言って、三人はハンバーグを手に持って食べ始めた。

 その後、ロッテリアを出た三人は、ラウンドマークの中を通り桜木町駅に向かった。


 翌日の夕方、福山夫妻の車に乗って、夕子とまだ生まれたばかりの裕紀を連れて帰って来た。正が駐車場に車を停めると、正たちが東側の玄関口から家の中に入り、源一郎と和子がいる一階のリビングに入って来た。ここで初めて裕紀と祖父母の対面である。先に裕紀を見た和子が、

「まだ、寝ているわ。まあ、可愛い顔をしているわね」

 と言うと源一郎が、

「隼人君に少し似ているかな。隼人君はもうお兄ちゃんだ」

 と言って、そばで立っている隼人を見ていた。すると隼人が、

「ぼくがうまれたときも、こんなにちいさかったの」

「そうよ。ママは大変だったのよ」

 利律子が言ったので今度は正が、

「そう、隼人が生まれた時も、十二月の寒い日だったな。あれから三年も経ったのか」

 暫くの間、源一郎たちは代わる代わる裕紀と隼人を見ていた。正が腕時計を見ながら、

「もう、六時から俺たちは帰ろうか」

 と言うことになり、福山夫妻は玄関口に向かった。

その12に続く。


by stone326 | 2018-02-13 08:20 | 物書きへの道

(22)六ポケット家族 その10

       3


 大晦日の午後、雅之と夕子、そして隼人たちは、正月ということで福山夫妻の家に泊りに行った。家に帰って来るのは、年が明ける二日の夕方である。したがって、源一郎と和子はスーパーで適当におせち料理を買い、大晦日の夜はNHK紅白歌合戦、そして元旦は近所の神社に行って初詣を済ませた。先月は隼人のバースデイケーキとクリスマスプレゼントにお金を使ったので、隼人のお年玉には電車のプラモデルを買っておいた。

 二日の夕方、雅之たちが帰って来たので、源一郎と和子は二階に上がって行き、お互いに年始の挨拶をした。早速、源一郎が隼人に電車のプラモデルを、和子が雅之と夕子に缶ビールの詰め合わせを上げた。そして明日の十時頃、みんなで町田駅近くにある町田天満宮に、初詣でに行くことに決まった。

 三日も朝から快晴の良い天気だった。今年の三が日はいずれも快晴で、梅の花が咲きそうな勢いである。日当たりの良い場所では、早咲きの梅の花が咲いているようだ。十時になると、源一郎と和子、そして夕子と隼人は、雅之の車に乗って町田天満宮に向かった。十五分ほどで、町田市バスターミナルにある駐車場に着いたので、雅之たちは車を降りた。ここから五分ほど歩いて行くと、町田天満宮の入口に着いた。

 今日は初詣でも三日目になるので、そんなに行列は多くなかった。行列の最後尾に並び始めた時は、隼人は大人しくしていたが、そのうち行列から離れ、自分勝手に走り出した。それを見て雅之と夕子が追いかけた。隼人の素早い走りを見て源一郎と和子は、苦笑いしながら行列に並んでいた。そして参拝の順番が近づいてくると、雅之と夕子は隼人を連れて来て行列の中に入り、雅之たちは無事に参拝を済ませた。

 町田天満宮の初詣でが終わると、雅之たちは駐車場に戻り車に乗った。ちょうど昼時になったので、雅之は杉山神社の近くにあるファミリーレストランに行った。来る時と同じように十五分ほどで、ファミリーレストランに着いた。雅之は駐車場に車を停めて、ファミリーレストランの中に入って行った。昼食に時間帯だったので店内は混んでいたが、運よく六人掛けのテーブルが空いていた。

 椅子に腰掛けるとウェイターが来たので、雅之たちはハムバーグランチや生姜焼きランチを、そして隼人には、お子様ランチとオレンジジュースを注文した。それから雅之たちはサービスコーナに行ってお茶をもらって来た。お茶を飲みながら雑談していると、ウェイターが注文したランチを持って来たので雅之が、

「それでは、初詣でも無事に済んだし、お父さんの奢りで頂きましょうか」

 と言ったので、隼人が両手を合わせてから、

「いただきます」

 と言って、オレンジジュースを口に運んだ。それを見て大人たちも、

「いただきます」

 と言って、大人たちもランチに箸を付けた。

 その後、三十分くらいで食べ終わると、源一郎がお勘定を払い、みんなはファミリーレストランを出て、駐車場にある車に乗って自宅に向かった。


 隼人の保育園は五日から始まり、一月、二月とも晴れの日が多く、隼人は毎日祖父母に連れられて、元気に保育園に通っていた。保育園から帰って来ると、トミカのプラレールやミニカーで遊んでいた。言葉もかなりしゃべるようになり、保育園で歌も習っているらポしく、童謡のチューリップや汽車ポッポなどを歌うようになった。

 三月になると雨の日が多くなり、暖かい日と寒い日が交互にあったが、気温の変化にも負けず隼人は元気に遊んでいた。昨年の十一月に隼人は、怪我をしたのが三回くらいあったが、それから三カ月以上も風邪をひかず、夜泣きすることもなかった。

そして、春分の日を迎えた三連休の真ん中の日に、新横浜駅周辺の飲食店でバイキング料理を食べ、それから新横浜駅のプラットホームに入り、新幹線を見に行くことになった。この日は朝から曇っていたが、雨が降る心配はなさそうだ。源一郎と和子、夕子と隼人は、雅之の車に乗って、家を出たのは十時半だった。

 車が五十分ほどで新横浜駅に着くと、雅之は空いている駐車場に車を停めた。車を降りた雅之たちは、新横浜駅周辺にあるバイキング料理店に入って行った。今日は学校の春休みと三連休が重なって、家族連れのお客が多かった。とは言え、バイキング料理なので、お客の回転は速いようだ。かなり混んでいたが、雅之たちは運よく大きなテーブルを囲み五人とも腰掛けられた。

 早速、雅之と夕子が隼人を連れて、バイキングが置かれている場所に行った。そして好きな料理をたくさんお皿に入れて、テーブルに戻って来た。それを見てから、今度は源一郎と和子が席を立ち、同じようにその場所に行き、料理をたくさんお皿に入れて持って来た。隼人はお皿に盛った料理を、スプーンを上手く使って食べていた。隼人は食欲旺盛で、保育園の昼食はいつも完食、そして三時のおやつは、毎日のようにお代わりしていた。

 こうして雅之たちは、三回くらいバイキング料理を取りに行っては席に戻り、会話しながら食べていた。お腹が一杯になって来たところで、雅之が腕時計を見ると十二時半を過ぎたので、

「そろそろ、お店を出ましょうか。お勘定は自分が払いますから」

 と言って、先にレジに向かった。それを見て、夕子が隼人を椅子から下した。源一郎と和子も椅子から立ち上がり、店の外まで歩いて行った。

 みんな揃ったところで。新横浜駅の新幹線改札口に向かった。それから自動券売機で入場券を買い、下り線のプラットホームに入って行った。乗客はまばらで、まだ電車の姿はなかった。雅之たちは安全を期して、東京寄りのプラットホームに行った。五分くらい待っていると、アナウンサーの案内とともに、新大阪駅行きの“こだま”が入って来た。

 隼人は雅之と夕子のそばにいて、固唾を飲んで見ているようだった。“こだま”がゆっくりと停車し、お客の乗り降りが終わると、また静かに走り出した。それを見て隼人が、

「しんかんせん、まて!」

 と言いながら、“こだま”のあとを追いかけ始めた。今度は雅之と夕子、そして源一郎と和子も隼人のあとを追いかけた。隼人は途中で追いかけるのをやめて、元の場所に引き返して来た。雅之たちも元の場所に戻り、次の新幹線が来るまで待つことにした。源一郎が周りを見渡すと、やはり自分たちと同じように、子供連れの家族も新幹線を見に来ていた。

 それから暫く待つこと五分くらいで、岡山駅行きの“のぞみ”がプラットホームに入って来た。隼人はもう大喜びで、“のぞみ”が停車するのをじっと見ていた。お客の乗り降りが終わると、“のぞみ”はゆっくり発車した。すると隼人はまたしても、

「しんかんせん、まて!」

 と言いながら、“のぞみ”のあとを追いかけ始めた。それを見て同じように、雅之たちも隼人のあとを追った。というように、その後、二本の“のぞみ”を見たところで、雅之たちはプラットホームを下りて出口に向かった。


          4


 それから約一ヶ月後の四月十六日(土曜日)は、朝から春爛漫の快晴だったので、雅之と夕子、隼人、そして源一郎と和子たちは、雅之の車に乗って町田リス園に向かった。午前十時に家を出たので、十時半には町田リス園の無料駐車場に着いた。車を降りた雅之たちは、町田リス園の入口まで歩いて行った。雅之が入場券(大人二百円)を四枚買って、みんなはリス園の中に入って行った。

 リス園の中に入ると、雅之は飼育係の人からリスに食べさせる餌を買い、安全用に軍手を借りた。リス園の情報では、見物客からもらった餌を食べると、十二時頃に昼寝をするということだった。リス園の中は、そんなに広くはなかったが、小高い丘があり、低い木にはリスが寝泊まりする小さな箱もあった。そして、園内を流れている小川には亀が何匹もいた。

 保育園と幼稚園の園児たちも、先生や両親と一緒に来て遊んでいる姿があった。団体客なので、大人たちの入場料は割引なのだろか。園児たちもしっかりと、経済効果に貢献しているということである。もし、土曜日の休日に園児たちの姿がなかったなら、広いリス園の中は、ひっそりとしてしまう、何てことを源一郎たちは思いながら、リスに餌を与えていた。

 隼人もリスに餌をあげるのが上手くなったようで、時折奇声を発して喜んでいた。そして、丘の上に行く石段を上ったり、下りたりして遊んでいた。遊び終わると、隼人は二歳くらいの園児たちのそばに行って、片言をしゃべりながら、話し掛けていた。子供たちには、子供たちの暗黙のルールがあるようだ。隼人は園児たちと別れる際、お互いにハイタッチをしていた。

 おおむね一時間くらい、雅之たちは可愛いリスたちに餌を与えたり、小川の中にいる亀を見たり、その合間に隼人の見守りもしていた。その後、雅之たちはリス園をあとにして、無料駐車場に戻って来た。みんなが車に乗ると、雅之は車を発進させた。途中、ファミレスに寄って昼食を摂った。支払いは源一郎が済ませ、家に帰って来た時は、午後二時を回っていた。


 そして二十九日(金曜日)から、ゴールデンウィークが始まると、翌日の朝、雅之と夕子、隼人は福山夫妻の家に二泊、泊りに行った。今年のゴールデンウィークは五月二日に有休を取ると七連休にもなる。源一郎と和子も久し振りに、外出することにした。と言っても年金暮らしなので、一泊する余裕はない。JRの電車に乗って、鎌倉に行くだけである。横浜にいた時、子供たちと一緒に行ったことがある鎌倉大仏と鶴岡八幡宮、長谷寺など。

 今日も朝から絶好の行楽日和である。源一郎と和子は、午前九時に戸締りをして、成瀬駅まで歩いて行った。成瀬駅から横浜線で横浜駅に行き、横須賀線に乗り換えて鎌倉駅に着いた時は、十時半を過ぎていた。二人は改札口を出て、鶴岡八幡宮に行く道路に行った。少し歩くと源一郎が、

「やはり、ゴールデンウィークは混んでいるね」

「そうね。毎日孫の保育園の送り迎えやら、買い物、炊事、洗濯やらで、忙しいから、こうしてのんびり歩くのもいいわ」

「今日は、隼人に追いかけられなくて済みそうだ」

「そういえば、私たちが鎌倉に来たのは、いつだったかしら?」

「もう、二十年くらい経っていると思う。確か、紫陽花を見に来た時以来だと思う」

 などと言っているうちに、鶴岡八幡宮に着いた。

 二人は鶴岡八幡宮にお参りをしたあと鎌倉駅に戻り、定食屋に入ってお刺身定食を頂いた。それからバスに乗って、鎌倉大仏と長谷寺などを見学した。そして、長谷寺から鎌倉駅までは歩いて帰って来た。二人は久しぶりに、電車やバスに乗ったり、初夏の日差しを浴びながら歩いたりしたので、心も体もリフレッシュされたような気分になった。

 鎌倉駅から横須賀線に乗り、横浜駅で乗り換えてから成瀬駅に着いたのは、夕方の五時頃だった。

五月一日の夕方、福山夫妻の家から帰って来た雅之と夕子、隼人は翌々日の三日に、今度は車で箱根の強羅温泉に行った。二泊してくると言っていたから、家に帰って来るのは、五日の子供の日である。したがって源一郎と和子は、隼人に子供の日のプレゼントを買うため、四日の午後に成瀬駅から電車に乗って、町田駅にある西友に行った。二人でおもちゃ売り場に行くと源一郎が、

「隼人が好きな新幹線の車両を買おうと思うが、何がいいかな?」

「のぞみや、こまちなどたくさん持っているが、ドクターイエローは持っていないから、それにしましょうか」

「よし、それでいこう」

 と言って、源一郎は和子と一緒に、新幹線のプラモデルを置いてある場所に行った。源一郎がドクターイエローを手に持って、売り場に行き、会計を済ませた。

 その後、買いもしない家電売り場や洋服売り場に行ったり、安いコーヒーショップに入ったりして時間を潰した。そして、帰りは結局のところ安いスーパーに行って、今晩のおかずを買い、町田駅から電車に乗って、成瀬駅に戻って来た。


 ゴールデンウィークが終わった五月二十一日の土曜日は、朝から五月晴れの良い天気だった。夕子は赤ちゃんを身ごもったため、家に留まることになった。雅之の話では、出産予定日は来年の二月初めだということのようだ。ということで今回は、雅之、隼人、そして源一郎と和子の四人は、雅之の車に乗って町田にある芹が谷公園に行くことになった。先に蔵寿司で昼食を摂るので、十一時半に家を出発した。十五分程で蔵寿司に着くと、雅之は車を駐車場に停めた。お昼前だったので少し空席があり、雅之たちは窓側の六人座席に腰掛けた。

 ウェイターが来たので、雅之は烏龍茶やオレンジジュースなどを注文した。回転寿司側の席に腰掛けた雅之と和子は、お寿司を取って小皿に入れる役目である。雅之は自分と隼人が食べるお寿司、そして、和子は自分と源一郎が食べるお寿司を小皿に入れた。隼人は刺身のお寿司は無理なので、主にかんぴょうとかのり巻きなどを食べていた。三十分ほどで、お腹が一杯になったので、源一郎がお勘定を払い、みんなはお店を出た。

 それから雅之たちは、駐車場に停めてある車に乗って、芹が谷公園に行った。十分程で芹が谷公園に着くと、雅之は車を駐車場に停めて、みんなは芹が谷公園の中に入って行った。源一郎と和子は、芹が谷公園に来るのは初めてだったが、隼人は両親と一緒に三回くらい来ていたようだ。したがって、隼人が先に冒険広場の方に歩いて行くと、雅之、源一郎、そして、和子があとを追いかけて行った。

 土曜日とあって、少し丘の坂にある冒険広場には、たくさんの子供たちが遊びに来ていた。そこで三十分くらい遊んでから、雅之たちは噴水広場に行った。今日は気温が二十五度を超える夏日だったので、噴水の中に入って水遊びをしている子供たちがいた。それを見て隼人も靴を脱ぎ、半ズボンのまま、噴水の中には入って行った。そして、キャッキャ、キャッキャ、と奇声をあげながらはしゃいでいた。やはり、子供たちは暑い日に、水遊びをするが好きである。雅之と源一郎、和子は常に隼人が転んで怪我をしないよう見守っていた。

 噴水で水遊びをしてから、雅之たちは公園内にあるトンネルを潜り、お花が植えてある広場に行った。こちらのほうは、遊んでいる子供はいなかったので、隼人は一人ではしゃいでいた。それから十分後に帰宅するため、雅之たちは駐車場の方に歩いて行った。


 結局のところ、今年の夏は夕子が妊娠しているので、父の日の夕食会は行ったものの、六ポケット旅行は行かないことになった。その代りというか、雅之と夕子、隼人は七月の三連休(十六日~十八日)に福山夫妻の家に行った。そしてお盆休みには、伊豆半島に一泊旅行した。また休日には、家の庭でプール遊びをしたり、近所の夏祭りに行ったりしていた。

 隼人はこの一年間で随分しゃべるようになり、新幹線や電車の名前、ミニカーはもちろんのこと、アンパンマンとトーマスが大好きになったようだ。時折、それらのDVDを両親と一緒に見たり、一階に下りて来た時は、祖父母と一緒にDVDを見たりすることもあった。さらに、源一郎が数年前に買った「歴史でめぐる鉄道全路線」に載っている写真を見るようにもなった。

 まだ、隼人は紙おむつをしているせいか、もうじき三歳になるというのに、おむつは取れない状況だった。それでも、隼人は三歳の誕生日を迎えるまで、元気に保育園に通っていたし、言葉も覚えて来たので、両親や祖父母との会話も少しずつではあるが、できるようになってきた。

その11に続く。


by stone326 | 2018-02-12 08:27 | 物書きへの道


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